私は豊島区を日本一の街にしたい

松下創一郎

 生年月日 昭和55年10月2日
 出身地 大阪府豊中市生まれ
 最終学歴 京都大学大学院工学研究科 修了
 趣味 料理・空手

松下創一郎

〜略歴〜

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昭和55年10月2日 大阪府豊中市で誕生
祖父、父が営む工務店の家に生まれ、弟と共に幼少期を過ごす。
祖父の大工仕事姿に魅せられ、建設業に憧れを抱く。
小学校時代は水泳とサッカーにいそしむ傍ら、楽しい学校生活を送り
生徒会長に選ばれたこともあったが、
当時本当に選挙に出ることはまったく考えてもいなかった。

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私立甲陽学院中学 入学。兵庫県西宮市の中高一貫校にて6年間学ぶ。
中学時代は柔道部で初段を取得する。中学2年生の時に阪神大震災が
発生し、自然の猛威と人造物のもろさに大変に感化された。
この阪神大震災発生後は1ヶ月間学校に通うことができず、
多くの友人も家屋に影響を受けたことにより親戚の下へ避難する。
こととなった。そんな中で部活動の枠を超えた友人と共に
サッカーをプレーする喜びに目覚め、高校ではサッカー部に入部。
強豪とはいえない部であったが、中学時代のブランクが埋められず
公式戦にはほとんど出場することができなかった。
最後の試合で顧問に言われた。
『これまではサッカーを教えてもらう立場だったけど、
これからはそのすばらしさを広めて欲しい』という言葉は
指導者として少し実現できていると信じている。

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京都大学工学部地球工学科 入学
父と同じ建築家を目指す一方で、もっと大きなものや公共構造物を作る
ことへの意義を感じ、土木工学科を含む地球工学科に入学。
土木工学だけでなく資源工学や環境工学を学び、
迷った挙句にコンクリート材料についての研究を扱った。

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京都大学大学院工学研究科社会基盤工学専攻 入学
大学院でもコンクリートの研究を行う。
主にコンクリート構造物の維持管理についてを取り扱っており、
修士論文のテーマは「内的塩害と中性化の複合劣化を受ける。
鉄筋コンクリート中の塩分移動と鉄筋腐食性状」
当時の担当教授の考えるコンクリート構造物のあるべき姿
『丈夫で美しく長持ち』という思想は、
今の政治信条にも反映されている。

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ものづくりの現場での社会貢献を目指して清水建設㈱に入社。
都内私鉄現場に配属となり、2年で鉄道高架、
新駅増設の2現場に関わる。その後本社技術部へ異動となり、
地盤・土質に関する設計検討業務に携わる。
在職時5年間、少しずつではあるが技術の蓄積を感じる一方で
、 目の前の構造物だけではなくルールや仕組みを作ることで
社会を変えることのできる政治家という仕事に興味を抱く。

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清水建設株式会社退社。
平成23年の豊島区議会議員選挙を目指して豊島区にて政治活動開始。
右も左も分からない世界であったが、秘書として働く中で先輩方に
手取り足取り教えていただきながら、
また地域の方々に温かく迎えていただきながら
政治家としての心構えと地域の問題について学ぶ。

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初めての選挙。無所属で所属もなく地縁もない中での選挙であったが、
多くの方の手助けをいただきながら1318票をいただく。
家族とは一度の挑戦、落選すれば再就職すると話していたが、
地域の支えを無為にしたくないとの気持ちが芽生え、再挑戦を決意。
平成24年末、衆議院選挙にて仕えていた議員の落選により
秘書としての職も失い、
残りの2年余りを塾講師として食いつなぐこととする。
一方で、小池百合子代議士から自民党からの
区議選出馬を打診され検討し、公認を頂くべく準備を始める。
地域の方々からの変わらぬ温かい支援と様々な出会いに恵まれ、
おそらく一生忘れられない浪人としての4年間をすごす。

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2度目の選挙だが政党に所属し、また前回と比較にならないほどの
応援団に後押しいただいて7日間の選挙戦を戦い抜いた結果、
2380票、55人中9位という好結果を頂く。
また、前回の選挙との比較で1000票あまり、80%増というのは
いずれも前回も出馬した当選者の中でトップであった。

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豊島区議会議員として、この選挙の結果
14名の大会派(豊島区議会の定数は36名)となった
自民党豊島区議団において、1年生議員として、
また区議会では区民厚生委員として活動中。
様々な資料と格闘すると共に、
地域の声をしっかりとお伺いすべく勉強の日々をすごす。